母との記憶

大正4年生まれの母はお洒落に対して、”衿が大きすぎるしペターッとしてて好きじゃないわ””この生地ならアウトポケットはフワッと縫い付けないと安っぽい”と云う具合にことごとくうるさい人でした。あまりにこだわりが強すぎたせいか、細々と家計をやり繰りする中で 自分のために出費出来なかった事も手伝ったのでしょう、私が子供の頃に母が自分の服を購入したという記憶がありません。

それでも3人の子供達が社会人と成長してからは、”たまがわ高島屋”も創業し2人で買い物へ出かけた事は母との楽しい思い出です。
でもおおかた、出不精の母は「私に良さそうなのが有ったら買って来てね」と云う具合、、、コダワリの強い人からの頼まれ物、特に”服”は気が重い、ナンテッタッテウルサイのだから!!
晩年母が着ていた服は殆ど私と一緒に選んだか、私が選んだモノでした。

ある日突然大きな紙袋を下げて帰宅した母が「コレ見て!!」と嬉しそうに取り出したのはニットのスリーピース、なんとボトムスはパンツだ!度胆を抜かれた私、いそいそと着替えた母に「似合わなーい、恰好悪いお尻が丸見えだし短足丸出し!!取り替えて来たら」と一喝。
その後母のパンツ姿はついぞ目にした事がありません。

〝イヤな娘!!” 今、人様に曲りなりにもアドバイスをしている私、何故あの時母らしく着られる様に考えもせずにあんな事を云ったのだろう???   
そのニットのスリーピースは母が大好きだった淡いインクブルーでした。

この9月に母の17回忌を済ませました。
遺影の母は母が大好きだったインクブルーのニットで微笑んでいます。
時々私はこの時の”嫌な娘”を思い出します。

母のお気に入り インクブルーのニットとネックレスです^^